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何もない。しかしつらい。

用途未定のエネルギー

大学時代に衝撃を受けた…はずなのだが、その割に最近忘れそうになっていたエピソードがあるので、今のうちに書き残しておこうと思う。

大学4回生の頃、所属していた学部にカウンセリング室が開設された。ちょうど就活の真っ只中で時間にも気持ちにも余裕がなかった頃だったため、通いやすい場所で気軽に通えるのが何より良いと思った。
(ちなみに大学本部のカウンセリング室というのはまた別にあり、入学したての頃に一度足を運んだことがあるのだが、まあなんというか少し巡り合わせが悪く、それきりになっしまった経緯がある)

初めこそ先生との相性はどうだろうなどという懸念はあったが、それは杞憂だった。それどころか、これまで自分の思い至らなかったことに気付くきっかけを与えてもらうことができ、結局卒業するまでお世話になってしまった。(私はずるい学生だったので、度々心理学の講義について質問したりもした)


前置きはこれくらいにして、先生に色々と話をきいてもらう中でひとつ大きな衝撃を受けたことがある。それは「エネルギーを内側へ向けすぎているんじゃないか」と言われたことだった。
衝撃というとニュアンスがいまひとつ伝わらないかもれないが、これまで気付きもしなかった視点を与えられたことで救いを感じたというか、とにかく袋小路に風穴が開いたような、そんなものだった。


今考えてみれば、その言葉はとても抽象的で、具体的な策が示されたわけでもないし(解決策は自分が見つけるものだと思うので、それ自体に不満はない)、そもそもどういった話の流れだったのかも忘れてしまった。エネルギーというのも、うまく説明することができないからエネルギーという他ないような気がする。

ただ、「エネルギーは外部に向けても良い」という発想が自分には欠けていたことをその時初めて気付かされ、たえず自分自身と向き合い続けないといけない行き詰った状況から救われたように思えたのだった。

今まで気付くことがなかったが、私の中にあるエネルギーがたとえば雲のような形をとるものだったとして、それをひたすら紫煙のようにぐるぐると内側へ焚きつめることもできるが、風通しを良くして外へ放つこともできるはずなのだ。つまり自分のエネルギーをどこへ向けるかは、自分に決める権利がある。そんなイメージが生まれた。


カウンセリングについては、それまでに別の場所で数年間通い続けたという経緯もあり、他にも書かないといけないことがまだまだあるが、とりあえず今回は大学時代の話ということで一旦締める。