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何もない。しかしつらい。

巻き返せると信じて

「自分の人生、もう巻き返し不可能なのでは?」
26歳、社会人三年目にして、そんな風に考えることが急激に増えた。

自分は確かに人より物事の飲み込みが遅いのかもしれない。感情の自覚は中学生以降になってからできるようになったものだし、癇癪や無気力のコントロールには未だに慣れていない。また、幼少の頃から運動音痴ではあったが、体の力の抜き方や入れ方は社会人になって頭痛に悩まされてから気付いたものですらある。

他にも、文章の読み書きや対話によるコミュニケーション、健康管理、ストレス管理、論理的思考、身だしなみ、仕事のスキル、趣味のスキル、業界知識、一般常識など、今の自分に欠如しているもの、会得するべきことを挙げれば尽きることがない。


話を冒頭に戻して、
「自分の人生、もう巻き返し不可能なのでは?」
と感じるのは、上記に挙げたようなことの多くが、きっと自分と同年代の人がすでに身に付けているであろうからだ。

学生時代は他人との衝突をひたすら避け、幼少期から必要さえなければ自室にこもり続けた。その背景には、自分の意思はどうせ否定される、笑われる、というような諦めや不安があった。

それを何年も続けた結果、本来学童期や思春期にかけて形成されるべきだった人間の礎がないまま、年齢だけ大人になってしまったのだと感じる。ちゃんとした人間になるために、今からでも巻き返すことは可能だろうか。

「ちゃんとした人間になること」がどのような意味であるのか、そしてどのような恩恵をもたらすのかはまだ分からない。もしかしたらストレスに負けない強い精神を持てるようになることかもしれないし、自分に希望を託せるようになるかもしれないし、これまで無意味だと思っていたものに価値を見出だせるようになるのかもしれないし、自分が生きていることを無条件で肯定できるようになるのかもしれない。

ともかく、やるべきことをやれば最終的には納得のいく成果を出せるはずなのだと信じている。それは浪人然り、作曲然り、色々なことが教えてくれた。


ちなみに、私の作った曲に「mediocre beginning」という曲がある。
イメージしたのは、朝の清冽な空気を一杯に吸い込み、今ここの自分の存在を確認するーーある種マインドフルネス的な心の状態かもしれない。それはさておき、タイトルの意味するところは「まずまずの始まり」である。

このタイトルは、大層なことを言うようではあるが、自分のこれまでの人生を肯定し、希望を託すような思いで付けた。
これまでの人生が、これから少しずつ良くなっていく「まずまずの始まり」であればよいと願ってやまない。